加藤 勝野

かとう かつの


昭和39年(1964)10月1日 名誉市民に推挙
明治21年(1888)9月8日生
昭和40年(1965)11月27日 没
 昭和14年(1939)愛知縣方面委員を拝命以来、24年間にわたり、終始一貫地域社会の福祉、民生安定、児童福祉等の増進に尽くされた。

明治21年(1888)岐阜県の商家に生れる。名古屋の英和中学(現在の名中)に学び、瀬戸第一尋常小学校に7年勤める。その後大正2年(1912)より窯業原料売買を主業務とした勝野窯業原料株式会社を営む。昭和14年(1939)愛知縣方面委員になったのが奉仕事業への第一歩であり、以後没するまでの長期に渡り社会福祉事業に尽力した。民生児童委員、愛知県共同募金会瀬戸支会長、瀬戸市社会福祉協議会長を歴任した。その間、昭和35年(1960)に紺綬褒章、同年藍綬褒章を受章、さらに昭和39年(1964)社会の福祉と民生安定に尽力した功績をたたえられ瀬戸市名誉市民に選ばれた。