山口八幡社古墳群

やまぐちはちまんしゃこふんぐん


瀬戸市八幡町・矢形町
旧山口村の氏神は現在山口八幡社で戦前は郷社の格をもっていた。社伝では承久の変(1221)後敗れた山田次郎重忠が山口村に落ち延び、ここに八幡宮を勧請したという。末社稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。この円墳が山口八幡1号墳で須恵器・金環・鉄製品が採集されている。境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。八幡神社の裏山の尾根上の先端部分に径15~20mの墳丘が(2号墳)、さらにその上段の尾根上に径約10mの墳丘(3号墳)が確認できる。西に隣接する本泉寺境内に本泉寺古墳(円墳)、さらにその西側に矢形古墳(滅失)が分布する。

山口八幡1号墳 石室
山口八幡3号墳