山口城址

やまぐちじょうあと


所在地 瀬戸市矢形町(本泉寺境内)
山口城は「上菱野城」・「屋形の城」とも呼ばれた。地名の「矢形町」は中世の城(屋形・館)の名残であろう。本泉寺(真宗高田派)の境内全域がその城跡である。この城は鎌倉時代の菱野・上菱野(山口)の地頭職であった山田泰親が、その職を子の重元にゆずり、弘安年間現在の本泉寺境内に築いた城である。自らは弘安四年(1281)仏門に入り、下野国高田専修寺の顕智上人に帰依して浄顕と号した。そして居城の南方に本泉寺を建てて自ら開祖となった。現在の本泉寺は江戸時代初期の慶長十八年(1613)にかつての城跡に移したものである。本泉寺境内の南側には現在も土塁や堀の名残と考えられる土手や池が残っている。

山口城  現在の本泉寺(右手奥)に残る土塁跡(左手の林)・堀跡(右手前の池)