今井校長之碑

いまいこうちょうのひ


瀬戸市岩屋町
瀬戸市域は教育熱心な風土性があり、多くの寺子屋と篤学者を生んでいる。
今井鎌三郎(かまさぶろう)は、明治元年(1868)6月8日西加茂郡寺部村(豊田市)に生まれたが、明治24年(1891)、愛知師範学校卒業と同時に下品野小学校訓導兼校長を拝命した。明治40年(1907)4月6日40歳で没するまで生涯を同校に奉職、『愛知縣偉人傳』には「世、鎌三郎を呼んで今ペス(ペスタロッチ)といふは其の崇高な人格、其の愛と至高の横溢した教育的生涯を賛美してかく呼ぶのである」とある。
「今井校長之碑」は岩屋堂公園の木陰に建ち(高さ196、幅88cm)、顕額は時の文部大臣小松原英太郎が、撰文は佐藤雲韶、書者大島徳太郎(君川)があたり、碑文は漢文体で記され、劣悪な教育状況を当局に掛け合って改善したこと、熱心に村民に就学を訴えて廻ったこと、自らは清貧に甘んじ節を曲げずに教育方法を改善したことなどが縷々述べられている。明治43年(1910)12月に教えを受けた下品野小学校校友会の手で建てられた。
現在もなお、遺徳を偲ぶ教育関係者の慰霊祭が行われている。