雨降り地蔵

あめふりじぞう


伝承地 瀬戸市駒前町(地蔵堂:駒前町171番地 寶生寺境内)
時代背景  名古屋築城におけるの堀・石垣の普請は、慶長15年(1610)のこと。
今から400年ほど昔、名古屋城をつくっているころのお話です。
ある日のこと、本地の宝生寺のお寺の下あたりで、運んできた大きな石が車から落ちてしまいました。落ちた石を車にのせようとしましたが、
「重くて運べません。」
「もう、腹が減って動きません・」と、百姓たちは汗をふきながら言うばかりで、石はどうしても、動かすことはできません。
そこで、この石は運ぶのをあきらめて、そのままにしておきました。しかし、このままでは目立つし、邪魔になるので、何とかできないものかと、庄屋山中心に相談を始めました。すると、仲間の老人が、
「この石を石屋にたのんで、お地蔵さんの姿にしてもらったらどうだろう。」と、言いました。
「それは、よい考えだ。」と、みんなはあいづちをうちました。
宝生寺の境内にお祀りしてあるのが、そのお地蔵さんだということです。
毎年八月二三日の地蔵まつりの日に、必ずと言ってよいくらい雨が降るそうです。
そこで、人々はいつのころか、この地蔵さんのことを「雨降り地蔵」と呼ぶようになりました。
また、このお地蔵さんに雨乞いをすると、雨が降ると言われています。

雨降り地蔵尊

地蔵堂について

現在の地蔵堂は平成30年7月に完成し、10月に落慶法要が行われた。その時晋山退薫式もあり、住職が17世俊峰弘人となった。

寶生寺境内の地蔵堂(左手前)
参考文献

瀬戸市教育委員会1982『瀬戸の石造物』

大野栄人・横山住雄1982『尾張 雲興寺史』

幡山村誌編纂委員会1992『幡山村誌』

瀬戸尾張旭郷土史研究同好会2005『せと・おわりあさひのむかしばなし 雨降り地蔵』