岩屋堂

いわやどう


伝承地 瀬戸市岩屋町
 時代背景 行基菩薩は、河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)に生まれる。681年に出家、官大寺で法相宗などの教学を学び、集団を形成して関西地方を中心に貧民救済、治水、架橋などに活躍した。
 瀬戸に住んでいる皆さんは、品野の岩屋堂というところを知っていますね。ここには、こんなお話があるのです。
 今から一二〇〇年ぐらい前に、行基(ぎょうぎ)というお坊さんがいました。行基は、勉強のために、日本中いろいろなところを歩きました。※1
 あるとき、品野へやって来ました。岩屋堂の大きな石のほら穴と近くの滝を見て、
「これは良いところへ来た。ひとつここで、もっと立派な坊さんになれるよう勉強をしよう。」と、言って、一生けんめい勉強をはじめました。
 ちょうどそのころ、都(みやこ)では聖武天皇(しょうむてんのう)が、おもい病気で苦しんでいました。それを聞いた行基は、天皇が早く直るようにお祈りをしました。オオカヤの木を切り、仏さまを三つ作りました。一つはお薬師さまで、ほかの二つは観音さまです。これを作るとき、ひと削りしては、
「天皇の病気が早く直りますように。」と、三回お祈りをするという心のこもった作りかたでした。その熱心な姿を見て、まわりのいろいろな鳥が、木の実などを運んで来てお供えするのでした。
 行基の作った三つの仏さまは、今でも岩屋堂のほら穴に祀ってあり、多くの人がお参りにきています。
※1 「今から一三〇〇年ぐらい前」