おしょうさんにしかられた龍

おしょうさんにしかられたりゅう


伝承地 瀬戸市定光寺町
定光寺の本堂(ほんどう)裏(うら)の小高い丘に、尾張藩(おわりはん)の殿様であった徳川(とくがわ)義(よし)直(なお)公(こう)(徳川家康の第九子)のお墓があります。その入口に龍門(りゅうもん)と呼ばれる門があります。その門の天井に、狩(かり)野(の)元信(もとのぶ)が描いたと伝えられている龍の絵があります。この龍は、人が寝静(ねしず)まると、門から百メートルほど坂を下ったところにある池に、毎晩のように水を飲(の)みに行くということです。
 真夜中になると、嵐(あらし)のようなざわめきに続いて、玉を転(ころ)がすようなとてもきれいな声の歌が聞こえてきました。いつも不思議(ふしぎ)に思っていたお尚(しょう)さんは、ある晩、雨戸を少し開けてすき間からじっと息をころして、外の様子(ようす)をうかがっていました。すると、どうでしょう。龍門の天井におさまっているはずの龍が、
「ああ、今晩も退屈(たいくつ)じゃ。どれ、のども渇(かわ)いたことだし、ちょいと水でも飲んでこよう。」と言いながら、山を揺(ゆ)るがし、嵐(あらし)のように池のふちまで行き、ぐびぐびと水を飲みはじめました。池の水がそんなにおいしいのでしょうか。目をつり上げ牙(きば)をむき出したいつもの恐ろしい顔とはうって変わって、龍は目じりを下げ、いかにも穏(おだ)やかな表情で、
「ひと口飲んではコオロ。ふた口飲んではコオロ、コロ。み口飲んでは、コオロ、コロコロ・・・。」と、気持ち良さそうに歌っています。お尚さんは、すっかり驚いてしまいました。そこで、さっそく、この池を龍吟(りゅうぎん)水(すい)と名づけました。
 ところが、ちょうどそのあと、
「どうも、近(ちか)ごろ、うちの田畑(たはた)が荒(あ)らされて困(こま)っとるが、おまあさんとこは、どおやな。」
「うん…。ほう言われや、おれんとこも、きんのう、なすがぎょうさん、ちぎられとったが、悪うやつがおるもんやな。」
「ほうや。うちのおっかぁもこの前、「いもを洗って、いかけに干しとったら、ひと晩のうちに全部のうなっとった。」と、怒(おこ)っとったがや。」と言う村人の声がお尚さんの耳に入りました。そういえば、龍は水を飲んだ後、ときどき上機嫌(じょうきげん)で村里へ下りて行くことを知っていたお尚さんは、
「これはきっとあの龍のしわざにちがいない。ことが大きくならないうちに、なんとか手をうたねばならない」と考えました。
 そして、あくる日、お尚さんは心を決(き)めて、龍門の龍に、
「やい、おまえ、そもそも源(げん)敬(けい)公(こう)(義直公の別名)の御霊(みたま)を守る役目にありながら、よくも役目を怠(おこた)ったな。そればかりか、村里の田畑を荒らすとは、もってのほか。覚悟(かくご)せい。」と言うが早いか、ふところに隠(かく)し持っていたのみを龍の目にうちこんで、龍が天井から降りられないようにしました。すると龍は、
「わたしが悪うございました。これからは、一歩たりともここを離れず源敬公の御霊をお守りしますから、これまでのことはどうぞお許(ゆる)しください。」と、大粒(おおつぶ)の涙(なみだ)を流しながら、すなおにお尚さんにあやまりました。
 それ以来、龍が龍門の天井を離れたという話は聞かれなくなりましたが、あの美しい龍の歌声も聞かれなくなりました。きっとこの龍は、お尚さんの言いつけ通り、今も龍門の天井から源敬公の御霊を守り続けていることでしょう。