永代ろくろ一挺の制

えいだいろくろいっちょうのせい


1780年(安永9年)『瀬戸窯業家人数覚』つまり、窯屋調の記録に記されている制度である。当時、尾張藩主による窯業保護奨励といった政策によりついには、過剰生産となった。これにより別項の『一子相続制』が発令され、『永代ろくろ一挺』と定められた者は11人だった。つまり、11軒の窯屋には特例が認められその他は一代限りと定められた。しかし後にそれらの者にも既得権が認められ、世襲制となった。