本地大塚古墳

ほんじおおつかこふん


瀬戸市指定史跡 1基
昭和51年5月1日指定 所在地 瀬戸市西本地町
所有者
文化財 前方後円墳
時代 古墳時代

本地大塚古墳は、瀬戸市の南西部に所在する前方後円墳である。一説にはこの子墳墓は応神天皇の皇子誉治別命(ほむじわけのみこと)の陵であり、本地村の村名の起こりとなったと言われている。
墳丘は全長33メートル、後円部の径は22.5メートルで、いわゆる帆立貝式古墳である。昭和34年に発掘調査され、墳丘部より須恵質円筒埴輪・朝顔型埴輪・形象埴輪・須恵器などが出土しており、それらの資料から5世紀末から6世紀初頭に成立した古墳であることが判明している。瀬戸市内最大・最古の古墳である。

本地大塚古墳