地下軍需工場跡

ちかぐんじゅこうじょうあと


瀬戸市小田妻町2・上本町
太平洋戦争末期になると太平洋防空網が破綻し、本土の空襲が次第に激しくなっていった。内地では空襲や本土決戦にそなえて軍事関連施設の疎開による分散化が進んだ。愛知航空機の瀬戸地下工場もその一つだった。愛知航空機は名古屋市船方で航空機の製造を行っていた民間の軍需工場であった。当時は九九式艦上爆撃機の彗星・瑞雲・電光などの機種を生産していた。
愛知航空機は昭和20(1945)年2月以降、本土決戦を控えた疎開方針により、大垣・美濃・養老そして特に地下工場の建設を企図して設置したのが瀬戸工場で水野村内に置かれた。アメリカ国立公文書館には「米国戦略爆撃調査団報告書」が残されていて、地下工場の概要が記録されている。すでに完成した部分と計画中であった部分を併せて10万平方フィートの用地が隣り合う五つの丘陵の地下に5区画が掘られていた。地下工場では彗星の最終組み立てを除いた全部品を製造するため、800台分の製造用機械が運びこまれた。昭和20年8月15日の終戦当時にはほんのわずかの翼桁が作られたにすぎないものであった。(『瀬戸市史・通史編下』
地下工場は出入り口の一部を除いて崩落しているが、今日瀬戸市域に残る貴重な戦争遺跡であり、市民団体によって保存活動が続けられている。