曽野町

そのちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。山法師山から流出ている山干川(山法師川)の素根で「曽根」と呼ばれたこともある。この集落の奥に穴の宮の地名が残り、附近の方形の礎石は白鳳期の堂塔心礎という説もある。昭和56年水北町の一部を編入し、一部を余床町に編入。
(参考文献:瀬戸警察1987『瀬戸の地名由来その1』 
     「角川日本地名大辞典」編集委員会1989『角川日本地名大辞典 23 愛知県』)
一色山城(水野城)
古跡・曽野の礎石