昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。山口川右岸の当地域は旧河道の氾濫原で、条理制遺構が見られた。古地図には多くの古塚があり、中に大将塚と呼ばれる武田信玄方の武将の山田信濃守を葬った墓と言い伝えられるものもあったが、戦後の土地改良事業で消滅した。
昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。山口川右岸の当地域は旧河道の氾濫原で、条理制遺構が見られた。古地図には多くの古塚があり、中に大将塚と呼ばれる武田信玄方の武将の山田信濃守を葬った墓と言い伝えられるものもあったが、戦後の土地改良事業で消滅した。