赤津

あかづ


赤津川流域、猿投山北麓の小盆地に位置する。中世・近世の古窯址が多く存在する。

<中世>飽津保:南北朝期から戦国期に見える保名。尾張国山田郡のうち。保内には高田・大屋・大堂・金井今村・白坂・上村などの地があった。
<近世>赤津村:江戸期から明治22年の村名。尾張藩領で水野代官所支配。古くから赤津焼の名で知られ、陶器法を伝えた加藤唐四郎の宅跡は当村にあった。明治13年東春日井郡に所属。同22年市制町村制施行により赤津村となる。
<近代>赤津村:明治22年から大正14年の東春日井郡の自治体名。大字は編成せず。大正14年8月25日に瀬戸町赤津となる。赤津:大正14年から昭和18年の大字名。