水野 双鶴

みずの そうかく


陶芸 練り込み技法 瀬戸市指定工芸技術 1件
昭和62年4月18日指定 平成9年1月18日解除(死亡)
保持者 瀬戸市小空町 水野双鶴 大正元年9月16日生

 色の異なる陶土を積み重ねることによって様々な文様を作り出す練り込み技法は、中国の唐時代に始まる伝統技法である。保持者は伝統技法を受け継ぎながらも創作活動に勉め、優れた技法を完成した。酸化金属を用いた発色の異なる数種の土を使い、手びねりによって作り出される造形力は計算された力強い作品となっていく。
 保持者は藤井達吉の指導を受け、その教えは作陶歴60年余の中に生き続けている。伝統技法を受け継ぎながらも創作活動の研鑽に専念し、優れた練り込み技法を完成した。

加藤 錦三

かとう きんぞう


陶芸 織部 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成18年2月10日指定
保持者 瀬戸市上水野町 加藤錦三 昭和4年5月13日生

 明治時代から続く水野の窯屋である加藤陣一の6男に生まれた。祖父である嘉三は、水野地区に石炭窯を最初に作った人で「水野焼中興の祖」と呼ばれている。25歳の時、水野出身の陶芸家加藤唐九郎と出会い、陶芸の道を志すことになった。特に「織部」の製作に意欲を燃やし、それに適した胎土・釉薬原料を近隣の山々に求めて焼成を重ねた。そしてついにこれまでに無い風合いと深みがあり、モダンで新鮮な作品を焼くことに成功している。特に織部釉の中の青色の美しさに秀でる。
 長男郁男氏が父の陶房にあってその技法の継承のための研鑽に努めている。

山田 良治

やまだりょうじ


陶芸 瀬戸染付着画の技術 愛知県指定工芸技術 1件
昭和33年3月29日指定 昭和38年9月20日解除(死亡)
保持者 瀬戸市 町 山田良治

明治29年生まれ、昭和33没(62歳)、県無形 昭和33年 

田沼 春二

たぬま しゅんじ


陶芸 灰釉 瀬戸市指定工芸技術 1件 
平成19年5月18日指定
保持者 瀬戸市川端町 田沼春二 昭和23年4月17日生

 保持者は瀬戸の陶芸家田沼起八郎の次男として生まれた。父起八郎は東京美術学校を卒業した洋画家であったが、昭和16年にやきものに魅せられ、瀬戸に窯を築いた。昭和21年の第1回日展に入選後瀬戸を代表する陶芸作家として活躍した。
 保持者は昭和47年に愛知県窯業訓練校を卒業後家業を継ぎ、本格的に陶芸の道に入る。そして最初に手がけたのは、彫紋の作品であった。新しい表現方法を模索してゆく中で、昭和62年頃から灰釉を使用するようになる。灰釉は土灰と長石を合わせたものだが、徹底的に灰汁を除去して美しい灰釉を生み出している。さらに2度塗り、3度塗りを重ね表情の変化を出す。彫紋については波紋を主に加飾し、自然の強さや柔らかさが表現されており、現代的でかつ気品あふれる作品になっている。

加藤 作助(四代)

かとう さくすけ(よんだいめ)


陶芸 織部・黄瀬戸・御深井焼 愛知県指定工芸技術 1件
昭和59年3月30日指定  平成8年12月24日解除(死亡)
保持者 瀬戸市赤津町 加藤作助 明治42年2月11日生

赤津窯の加藤作助家は、慶長年間(江戸時代初期)に美濃から帰村した加藤利右衛門(初代唐三郎)の弟景元を家祖としている。初代作助(景清)は景元七世に当たり寿斎と号した。「性来陶法の妙手として、父の家を継ぐや作助と改め、大いに業務を刷新せり、其の製する処の器ハ古法に倣ひ、多くの茶器又酒器の類を造る。其作皆高尚にして雅稚に富む」(をはりの花)とある。二代慶三郎(春仙)・三代精一(春山)・四代紀彦(当代作助)と家法を守る。
保持者は桃山時代から江戸初期にかけての伝統陶芸を復活させ、高雅な作品を製作している。特に、織部・黄瀬戸・御深井焼は格調が高く、その製作技術は高く評価される。

林 邦佳

はやし くによし


陶芸 色絵磁器 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成19年5月18日指定
保持者 瀬戸市泉町 林 邦佳 昭和24年11月3日生

 保持者は千葉市に生まれ日本大学芸術学部彫刻科に進むが、在学中に東京国立博物館での「東洋陶磁展」を観て、中国明代の作品に衝撃を受け陶芸の道を志す。その後工業技術院名古屋工業技術試験所の研究生・職員して、中国陶磁の青磁や染付の研究を重ねた。八木一夫から「独学に勝る勉強はない」と教えられ、昭和49年に独立、独自に中国古陶磁技術を追い求めてきた。この中国古陶磁研究は、主に元代染付、明代の染付・白磁・豆彩・五彩・金襴手等に及びその技術の詳細な報告論文や実際の作品は各界から高く評価されている。

加藤 作助(五代)

かとう さくすけ(ごだいめ)


陶芸 織部・黄瀬戸 愛知県指定工芸技術 1件
平成16年8月20日指定 令和4年9月26日解除(死亡)
保持者 瀬戸市赤津町 加藤伸也(平成18年4月1日5代作助改名) 昭和15年8月25日生

代々赤津の加藤作助を名乗る窯元に生まれ、昭和41年東京芸大大学院を修了後作陶生活に入る。同48年東海伝統工芸展「日本伝統工芸会賞」受賞、その後も各種公募展で受賞している。
伝統的な織部焼で、器本体に別の土をはめ込んで文様を表現する象嵌(ぞうがん)技法を使う斬新な作風を確立。黄瀬戸でも伝統的なモチーフの中に、描写的な草花を取り入れて黄瀬戸の世界を広げた。平成10年に瀬戸市指定無形(陶芸織部・黄瀬戸)文化財保持者に認定された。
日本伝統工芸会理事や瀬戸陶芸協会長、愛知県立芸大教授などを勤め後進の指導に当たってきた。

加藤 唐三郎

かとう とうざぶろう


陶芸 御深井 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成20年5月9日指定
保持者 瀬戸市窯元町 加藤唐三郎 昭和23年10月21日生

 保持者は瀬戸の陶祖藤四郎の系譜に連なり、江戸時代尾張藩の御用窯を勤めた。初代唐三郎(家祖)の12世唐三郎(俊郎)の次男(幸次)として生まれた。愛知県立瀬戸高等学校卒業後作陶活動に入り、先代の下で伝統的な技術を学んでいった。同家では代々黄瀬戸・御深井・織部・安南手などの食器・茶器・装飾具などを焼成することを受け継いできた。保持者は家業の傍ら、先代に倣って日展に出品する。さらに瀬戸工芸会に入会し、東海伝統工芸展・日本伝統工芸展にも積極的に出品していった。保持者は黄瀬戸に中心を置いた活動を行ってきたが、唐三郎窯の独特な御深井釉の釉調を重視する御深井焼にも力を入れてきた。伝統工芸界では本地域を代表する作家であり、後輩の育成や陶芸文化の向上にも尽力している。

柴田 明

しばた あきら


有線七宝 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成22年6月18日指定
保持者 瀬戸市今池町 柴田 明 昭和17年7月16日生

近代七宝は尾張海東郡服部村(名古屋市中川区)の梶常吉に始まるとされる。天保四年(1883)頃に完成されたという七宝技術は海東郡遠島村(現在の七宝町)を中心に発展し、現在の尾張の伝統的工芸品と成るに至った。
保持者は三重県四日市市生まれ。愛知県立瀬戸窯業高等学校を卒業後(株)安藤七宝店に入社した。安藤七宝店は明治13年創業、尾張近代七宝技術を継承してきた会社で、保持者は伝統技法を踏まえた作品づくりを50年にわたって続けてきた。
保持者の作品は有線七宝の技法で、デザイン・素地の加工・模様付け・施釉・焼成・研磨という多くの工程を全て行っている。経験と高い技術が必要であり、まさに熟練の技が要求される。保持者は昭和45年以来日本伝統工芸展に36回入選、審査委員も努める日本を代表する七宝作家である。

加藤 舜陶

かとう しゅんとう


陶芸 灰釉系技法 愛知県指定工芸技術 1件
平成6年3月18日指定 平成17年6月24日解除(死亡)
保持者 瀬戸市赤津町 加藤舜陶 大正5年7月13日生

 保持者は加藤作助の系譜に連なり、初代作助(寿斎)の3男小三郎(号春逸)が祖父にあたる。昭和12年生家にあって作陶を始め、瀬戸陶芸協会にも入会、以来陶技を研鑽、特に「灰釉の舜陶」といわれる灰釉陶器の製作を主軸に置いてきた。灰釉は草木灰を使用する最も基本的な釉薬で、瀬戸地方では平安時代に始まり、中世・近世を通じて発展してきた。江戸時代に誕生した御深井焼は木灰に千倉石を混ぜて還元炎で焼成したもので、美しい透明感ある淡青色を呈する釉で保持者が最も得意とするものである。
 保持者が灰釉に重点を置くようになったのは公害防止法で薪窯が規制され、石炭窯(昭和35年代)からガス窯(昭和45年代)の使用がされるようになったのがきっかけだったという。特にガス窯を使用するようになってからは、平安期以来の伝統的な灰釉に江戸前期の御深井釉も生かした独特の素材感を持った灰釉作品を生み出してきた。平成3年に瀬戸市無形文化財(陶芸・灰釉技法)に指定される。