昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野の一部。地名は一帯に良質の陶土層が重なっていたことからという。江戸期は八床御林・御鳥林の山林地帯であったが、近代に入って粘土鉱山として開発が進んだ。
カテゴリー: 下品野連区
北丘町
きたおかちょう
昭和40年5月1日大字名を廃止し、町名を設定。もとは下品野の一部。品野の北方の丘陵地ということで、この北丘の地名がつけられた。
品野町
しなのちょう
昭和40年5月1日、大字名を廃止し、町名を設定。もとは下品野の一部。1~8丁目がある。
→品野→品野祇園祭の神武天皇像および従者像・瀬戸市指定民俗文化財
→山崎城→阿弥陀ヶ峰城
→集落跡・品野西遺跡
落合町
おちあいちょう
昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野の一部。「落合」は水野川中流域に位置する。『尾張徇行記』に「又片草川ト鳥原川ト本郷ノ東北ニテ落合ヘリ、ココニ農屋数戸アリ、即落合島ト云」と見える。町の西端、水野川が大きく蛇行する天白山南麓はかつて落合城址で、『寛文記』には、東西53間の規模で、下品野村の西に有りと見える。
→石燈籠・瀬戸市指定建造物1基
→落合城
窯町
かままち
昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野による。尾張藩の御用窯があったがあったところから、この町名がつけられた。
→加藤新右衛門家文書・瀬戸市指定古文書