山の田町

やまのたちょう


昭和45年4月15日、大字本地の一部を町名設定。もとは本地の一部。寛政5年の本地村村絵図にも「山ノ田」や雨池,(山ノ田池)が描かれており、「カリマタ,(雁又)」の沢に開田された水田の呼称であったようである。

東本地町

ひがしほんじちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部。昭和46年からは1~3丁目がある。
→古窯・大草古窯跡群

坊金町

ぼうがねちょう


昭和45年4月15日、大字本地の一部を町名設定。もとは本地の一部で、大字本地字坊金・南浦・駒前の一部。寛政5年の本地村村絵図では、長久手村から今村へ通ずる「御巡見道」とその西の「下大クテ」の農家が描かれている地。地名の由来は不明だが、以前は五軒村と称されていた。

西原町

にしはらちょう


瀬戸土地改良第三工区にあたり、昭和49年11月2日に町名を設定。1・2丁目がある。もとは本地の一部。

西本地町

にしほんじちょう


瀬戸土地改良第五工区にあたり、昭和49年11月2日に町名を設定。1~3丁目がある。もとは本地の一部。
→本地大塚古墳・瀬戸市指定史跡1基
→本地城

幡西町

はたにしちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは本地の一部。瀬戸市立幡山西小学校があるところから幡西町となづけられた。

高根町

たかねちょう


当地区は瀬戸土地改良第三工区にあたり、昭和49年11月2日に町名が設定された。もとは本地の一部。1~3丁目がある。

駒前町

こままえちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部で、大湫・小坂・坂上の一部で、瀬戸市大字本地字駒前・前田・南浦。昔、当地の西,(現在の西本地町)に本地城があり、ここの城主や武士が使用していた馬の寄場があったことから、この地名がつけられたと伝えられる。また、長久手の合戦の折り、行軍の途中、この地において馬を休ませ、軍議をしたところから生まれたという説もある。
→古墳・駒前第1号墳

小坂町

こさかちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部で、瀬戸市大字本地字大湫・小坂・坂上の一部。寛政5年の本地村村絵図には隣接する岩作村、稲葉村との境で、「大坂・小坂」の地名・集落が描かれ、自然地形に由来する町名と思われる。
→坂上町の項

井戸金町

いどがねちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部で、明治期の本地村大字本地字井戸金、大湫、坊金、山の田の各一部。地名の由来は、小牧・長久手の戦の落武者が農家の井戸に金を隠したとか、昔井戸の中に金の鳩が住んでいたからなど諸説がある。