瀬戸市の産業構造は、陶磁器中心の単一産業であり、陶磁器業界の好不況は直ちに地域全体に大きな影響を与え、本市の経済を大きく左右してきた。このような産業構造からくる弊害を除去し、尾張東部地域の拠点都市にふさわしい地域社会を形成するためには、地場産業の振興をはかりつつ、他産業の導入をなし、市の経済基盤の一層の充実が必要であり、職住近接の大規模企業団地の造成が計画されたものである。
計画地はかつて東京大学農学部が演習林として活用したところであったが、愛知演習林の用途廃止し昭和39年(1964)3月31日大蔵省(普通財団)へ引き継がれたものである。計画の事業主体には県企業局があたり、昭和43(1968)年度から大蔵省(東海財務局)より土地取得を開始、 昭和45(1970)年度~47(1972)年度にかけて総面積58ha、工場用地16区画の計画での穴田企業団地が造成されたものである。