水野団地

みずのだんち


瀬戸市内の人口増加は著しく、住宅の不足は年を追って深刻化し、かつ世帯分離傾向の促進は一段と強まり、これと同時に土地事情も急速に悪化、市街地においては空地を求めることはほとんど不可能となり、周辺部についても楽観は許されなかった。市街地に隣接した丘陵地帯の大部分が国有地あるいは県有地であって、個々の力では対策を講じ得ない状況にあり、公的機関による総合施策が望まれていた。この地はかつて東京大学農学部が演習林として活用したところであったが、瀬戸市にとって住宅開発を含めた総合開発を行うことは長い間の悲願であった。
この旧東京大学演習林は、水野川と瀬戸川の間を東から西にかけて連なる丘陵台地の大部分を占めており、瀬戸市既成市街地とその北部に位置する旧水野村(昭和26年(1951)5月合併)を分断し、両地区の連携を阻害してきた。瀬戸市は地域開発計画作成に当たり、演習林の他地区への移転を期待し、昭和30年(1955)頃から文部省、東京大学等に対し活発に陳情を行った結果、文部省並びに東京大学は、演習林の移転先を赤津・上品野に求め代替演習林の取得もできたことから、愛知演習林の用途廃止し昭和39年(1963)3月31日大蔵省(普通財団)へ引き継がれたものである。
この時の利用計画は、瀬戸市は住宅団地造成用地、瀬戸市学校給食センター、水野小学校用地、水野準工業団地造成用地、瀬戸市民公園用地として、財団法人瀬戸市開発公社は租鉱権設定を、愛知県は企業団地造成用地としている。この住宅団地造成用地が水野団地開発計画であった。
面積92ha、1560戸の計画で昭和42年(1967)7月13日に起工式を行い、昭和43年(1968)1月8日にさつき台の分譲が開始され、昭和50年(1975)3月28日完成をみた。
現在は約1,770世帯、4,450人が生活している。

水野団地