瀬戸市は、窯業を地場産業とする単一産業都市として発展成長してきた。しかし、基幹産業である陶磁器産業は、近年、産地をめぐる外部、内部の環境が変化するなかで不振を強いられている。こうした状況を克服するため、愛知県企業局による穴田企業団地等の造成をすすめ陶磁器産業の合理化、近代化の他、異業種企業の立地促進をはかるよう努めてきた。こうした中、昭和48年(1973)のオイルショックによリ一時、企業の拡張意欲がうすれ、行政側も工業用地確保を見送ってきたが、昭和50年代中頃より、先端技術産業を中心とする企業の立地熱が急速に高まってきた。特に瀬戸市は、従来よりニューセラミックスを手がける企業が多く集中している地区であり、また景気の回復とともに、企業環境の改善、近代化・合理化による体質改善、より生産性の高い企業への脱皮といった企業の意欲も高まってきた。市では暁地区の開発を愛知県に要望した。
おりしも愛知県では、昭和46年(1971)以降、工業用地買収を行っておらず、売却できる内陸工業用のストックがなくなり、 2~3年前から活発化してきた企業の工場拡張意欲への対応に苦慮しており、昭和57年(1982)当初予算に、11年ぶりに内陸工業用地費を計上し、候補地を物色していた。昭和57年(1982)6月、愛知県は瀬戸市の要望を受け計画を発表、昭和58年(1983)には約31haの暁地区工業用地の造成を行った。