尾張瀬戸駅地区再開発事業

おわりせとえきさいかいはつじぎょう


市施行による再開発事業で、平成  年月に事業認可をうけ、平成17年(2005) 月事業完了。再開発ビルの名称は市民公募により「パルティせと」と決定、平成17年(2005)2月19日にオープンした。
昭和53年(1978)に栄町乗り入れを行ったことにより便利になったことから一時的には乗降客も伸びたものの、駅前広場の未整備や周辺の道路状況の悪さから年々その数も減少していった。周辺地区はこうした都市基盤の未整備と商店街の衰退化、居住環境の悪化、高齢化等から、地区外移転等のドーナツ化現象を起こし、地域活力の低下が進んでいた。
昭和55年(1980)地元研究委員会ができ市街地再開発事業の試案がまとまり、昭和59年(1984)には連絡協議会ができ活発な活動が始まったが、権利関係等でうまくいかず一時中断となった。しかし、駅周辺の整備の必要性は非常に高くなってきたことにより当面整備手法にこだわることなく、駐車場・駐輪場の整備を目的として、昭和62年(1987)から用地の確保を行い暫定的に整備してきた。
一方、計画策定においては、「瀬戸川文化プロムナード計画」の中で中心市街地のまちづくりの基本構想をたて、諸整備計画を策定するなかで特に尾張瀬戸駅地区は、公共施設の整備が主体となっていることやこの地区のまちづくりの先導的役割を担うことから市施行の第二種再開発事業として再度出発することになった。さらに、「2005年日本国際博覧会」の開催が決定したことにより、重点整備地区の中でも骨格的な事業である瀬戸川河川整備、瀬戸川プロムナード線及び瀬戸大府線についても愛知県において整備の方針が決まった。
当地区は、本市の顔として、駅前広場の整備、道路、駐車場等の公共施設整備の緊急度が高く、これらの整備を契機とした施設建築物の早期建設による拠点形成が求められていることから、「街区整備計画」で商業・サービスゾーンとして位置付け、施行区域約1haの中に駅前広場の整備とホテル、店舗・業務施設等の設置を一体的に行うことが計画されたが、ホテル誘致が不調となり計画の見直しがされた。再開発事業を市民参加で再検討するため、ワーキンググループを発足し、公開検討会議と市民フォーラムが実施され、市民から寄せられた要望、意見を踏まえた提言を受けた。提言内容は、駅ビルの基本コンセプトと、下層階には飲食物販を核とする商業フロア、中層階は公共公益フロアからなる各階の機能提案であった。提案をもとに、公益施設整備に重点を置いた低容積型の再開発事業を選択した。
面積  約1.0ha
道路  瀬戸川プロムナード線  幅員24m  延長約90m
 瀬戸大府線       幅員24m  延長約115m
 駅前広場        面積約3,700㎡
再開発ビル    地下駐車場、商業施設、市民交流センター